紐帯

同期でmixiを始め出したやつが増えてきた。
僕がmixiを知ったのは、ちょうど大学に入りたてのころ。
高校の友達から教えてもらい、離れ離れになっても現状が分かるかた楽しいよって言われたように覚えている。
しかし、なぜか興味がなく、その時は、「離れ離れになっても狭い日本ならいつでもキャッチアップするのはカンタンやろ!?」とか言って、断ったように覚えている。
その後も、何度か招待されたが、なぜか断った。

そして、ついに、一番やりなさそうな同期(M君)がmixiを始めた。
ここで、なぜ僕がmixiに興味がないのか考えてみたい。

その前に、なぜ僕がブログをやっているのか。
mixiはやらないのに、ブログをやっていることから、その答えは、何らかのヒントとなるかもしれない。
僕がブログをやっているのは、その時々の考えを記しておきたいからである。
「考え」というのは生もので日々変わっていく。
とくに僕みたいに感情的な人物(ないしは、多元主義な人間)は一つの物事でもいろいろな見解をいろいろな理由のもとに正当だと思う時が多々ある。
そのため、「あれ、この問題、以前考えたことがある!以前はどのように考えてたのだろう!?」と過去の記事を読みなおし、現在の考えと照らし合わせることが良くある。
つまり、どのような移り変わりがあったのかを知りたいわけである。

このような機能がmixiにも備わっているのは当然知っている。
では、何がいやなのか。
それは、mixiが容易な紐帯を生み出していると思うからである。
確かに、大学も卒業し、社会人として忙しくしていると、友人が何を今しているのかが気になり、知りたくなる時もあるだろう。
また、ふとした時に、友人のページを見て、刺激を得ることもあるだろう。
mixiは間違いなく有益である。これは否定しない。
だが、そのような情報を通して得られる紐帯がどうも、擬似的なつながりのような気がするのである。

「あいつは今何をしているのだろう」という疑問。
そして、その疑問から「何をしているかは分からない。だけど(!)、あいつならきっと元気になにか面白いことやってるんだろうな」と思える心のつながり、僕はこっちのほうが好きだな。

・・・。
なんか、すごく論理的に僕がmixiをやらない理由を語ろうとしたけど、結局はま〜、こんなもんですね。
でも、分かります、このくだらない葛藤!?
あいつが書いている記事読んでみたいな〜って思うやつが何人もいるわけですよ。
ただ、mixiの会員にならないと見れない。
だけど、いざ会員になろうとすると、なんか抵抗感を覚える。

きっと意地というレベルの話なのだろうな。
は〜無理やり、論理的に自分に言い聞かせるのやめよう・・・。