振り返ると・・・パート1

 昨年度のこの時期、先輩方が卒業されていき、それに伴い自分の軌跡を振り返る機会が多かったが、今年は、いよいよ自分の卒業の時期である。(もっとも、僕自身は卒業はしないが。)
 先日も後輩と話をしていたら、後輩が彼らの後輩のことで悩んでいる模様。そういえば、自分もいろいろ悩んだな〜と思いながら、自分自身は何を考えて、何を重視してサークルに取り組んできたのかを、簡単に振り返ってみた。

【KISE】
 入学時に入り、二年生の時に代表を務めたサークルである。任期は一年。僕の後任の代表とも話したのだが、このサークルは一度任期が二年の代表が出てきても良いと思う。皆意欲はあるのだが、年次が低いため、どのような運営がより良いサークルになるのかわからないのである。それゆえ、交流会という、それそのものは決して面白くない、ないしは工夫することを求められることが必須の状態の、現状維持に甘んじているのであろう。また、僕の代から交流会を何とかより留学生のためにも、僕たち側のためにも参加しやすいものにしようと、組織を挙げ取り組んだが、結局、去年度、交流会の廃止という結論に至った。代替として、種々企画を増やすというのだが、ギャラクシーの学校を借りて、お互いのファーストコミュニケーションを図るということには、彼らのほうからすればもっとも参加しやすい形態であり、それが廃止された今、今後どのようになっていくのか、不安とともに楽しみでもある。

【KAV】
 こちらも、入学時に入ったが、一年目はあまり山に登らず。二年目はちょこちょこ登り、本格的に山を感じるようになったのは、三年生からだったように思う。自分自身が山が好きかもと実感するに至ったのは、4年の夏・・・。こちらは、三年生から代を引き継いだとあり、少しは考えながら行動し、PDCA(plan-do-check-action)を行えたと思う。また、自己の職務及び他者の職務について、自分なりに分析しつつ過ごせたかも!(ちょっと調子に乗りすぎたかな・・・。)
 さて、では、具体的に何を考えて取り組んできたか。
 私が代表を勤めるにあたり、もっとも恵まれたのが、私に与えられた職務が明確だったこと、である。
つまり、青木先輩が立て直し、制度・事務手続き面においては復活していたKAVを、文化面・活動内容面においての復興、定着を目指すことが私の職務だったと解している。
 物事はメンバーがいなければ始まらない。リクルーティングを最大重要事項と位置付け、コアメンバーの育成に1年目は力を入れることにした。リクルーティングは、ある程度、縁という要素もあるだろう。幸いに予想以上の人数が新歓コンパに来てくれた。リクルーティングの前までは、同期・後輩たちには、「とりあえず、頑張ろう!!」と励ましあい、士気を上げ、鼓舞しあうだけで良かった。というか、それ以上にすることが分からなかった。
 しかし、リクルーティングが終わり、ある程度定着人数も落ち着いてくると話は違う。流れに任せておけば良いというわけではなかった。(性格にもよるのだろうが、僕の性格としては、物事は必然的にうまくいくという予定説の考えに立脚しておらず、意思ないしは自由意思を信じているタイプである。自分の意思に則り行動し、物事を良くしたい、と考えていたのである。)新歓コンパの帰り、「今後どうしていこうか。」「コアメンバーの育成とはどのようにすれば良いのか。」と悩んだのを今でも覚えている。
 先に代表を務めたKISEでは、「先輩が仕事をし、後輩はそれを見守る」、というループの繰り返しが行われていた。その繰り返しでは、その先輩がどれだけ頑張ってもそれを後輩が引き継がない限り、その先輩の任期がある以上、結果として残すのは非常に難しくなる。また、上記ループが定着すると、先輩には先輩だという意気込みと責任が生まれる一方、後輩にはサークルを良くしようというインセンティブが働きにくいという弊害もあると思っていた。つまり、僕の中では、KISEの職務を通し、KAVでは「先輩」「後輩」の役割演技、役割分担はしたくない、垣根は作りたくない、という想いが当初からあったのである。そこで、コアメンバー育成にあたっても、それが当該目標を達成するにあたり有効かどうか自信はなかったが、新入生と同じ目線で、一年生から四年生まで同じ目標を持ち、精進できるようなサークル作りをすることで、当該目標を達成しようとした。
 しかし、このサークルは登山サークルである。登山においてはリーダーの命令は絶対だとも言われており、その点において、役割分担は内在していたのである。
 そこで、「ON」と「OFF」をはっきりさせることを試みた。もともと日本人の社会風土としてONとOFFをはっきりさせることは苦手らしく、会社で話し合うべきところを、あえて食事しながら話をするということは珍しいことではない。個人的に、このような風土は必要であると思う。皆プロ意識を持ち、個人的な感情を仕事には持ち込まない(だから、「ゆったり腰を据えて話し合う」という環境作りは必要ない)という姿勢や、実現方法が違うだけであって、志は同じである(ー会社のために、社会のためにという大きな志は皆同じはずであり、ただ、それを実現させるためのミクロな考えが違うだけであるー)という姿勢を持つことが理想なのであろうが、仕事ならともかく、サークルでは、なかなかそのような姿勢の追及は難しい。また、onとoffをはっきりさせることはそれが行き過ぎると、合理性の追求に走りだし、それは野暮なもんだろうという想いもあった。
 しかし、その困難な姿勢を身につけることは僕自身のためにもなるだろうし、新入生のためにもなると思い、「on」と「off」をはっきりさせようとしたのである。さて、ここで難しいのが、何をオンに設定し、何をオフとするかである。当初僕は、登山という行為をオンにして、平地にいる時で準備会・総会などを除く時をオフとしようと考えていた。 これは、既述した通り元来登山中はリーダーの指揮は絶対であるという性格が内在されており、それをオンと設定することによりそのような性格を時代に適応しやすくしたかったという狙い、普段の会話をオフとすることにより人間関係の基礎を築き、準備会・総会などの機会を適宜提供することにより、皆との視点が同じになるのではないかという狙いがあった。また、当然、オン・オフの設定により、またその設定を周知させることにより、「今はオンだろうか、オフだろうか」という自問を経て、先輩に促されなくても、自らオンのモードに入ってくれるのではないか、という狙いもあった。

 ・・・・・本ブログ初。次に続く。