殺伐とした心境。一抹の希望とともに。

本当にまれではあるが、時々、すべてを壊したくなる時がある。

僕が二年生になる時、先輩から「多くのことを背負おうとするあまり、それが負荷になりすぎて、投げ出したくなる時が来るかもしれないけど、投げ出さないように頑張って。」と言われたことがある。
先輩はきっと、僕が精神的に不安定な時があるのを知っていたのであろう。
また別の先輩からは、「自分が楽しむことだけを考えろ。周りにあまりに気を配りすぎだ。」とも言われたことがある。

この他、多くの先輩方から可愛がられ、また後輩からも学びつつ、大学生活を送ってきたなと、昨日後輩と飲みながら思っていた。
僕の大学生活の大きな柱の一つに、KAVの存在があるが、今後のKAVが非常に楽しみである。


リーダーが底辺にいてうまくいく組織。その組織の存在は、主体的なメンバーの存在が前提であろう。
またメンバーが大人数いる場合もうまく行き易いと思う。
いわゆる、“調整型”のリーダーであろう。
しかし、少人数でのカラーを守り続けるならば、少人数での良さー厚いケアー、信頼関係などーの構築を心がけても良いのではなかろうか。

先輩が後輩に何を求めているか。人が他人に何を求め、他人が人に何を求めるか。
これの追及は自ら行うべきであり、少なくとも僕の場合人が言っていることを本当に理解できるのは時間が経ってからのことの方が多い。
僕自身は、そのような理由から、人が何を言っているのかが分からないからと言ってその人を理解することをやめようとはしない。
きっといつかわかるはずだと信じ、尊敬の念は捨てずに接する。

“日本人”という社会風土は、もともと、“同じもの”を好み、特異なものを排除したがる、と聞いたことがある。
ここでアイデンティティについて述べるつもりはないが、「自らの頭で考える」という行為をもっと頻繁に行って欲しい。
「考える」と「思う」とは違う。他者の考えを深く考えることなく、何を言っているか決め付け、排除しようとするのは、愚の骨頂ではないだろうか。
色々な考えの人がいる方が強い組織になっていく。だが、これは、互いに尊重しあい、排除しないのが前提である。

後輩が、先輩が、OBが、歴史が、僕にどこまで求めて、僕はどこまでそれに応えられたか。
僕自身は精一杯楽しんだか。
この時期、多くのことを自問自答する。

その時に、救いとなる答え。それは、「精一杯頑張った」と思えることだ。

二代前の代表、前代の代表、そして僕。三人ともキャラは全く違う。
そして、僕の次の代表も違う。彼が、彼のどのような武器を使い、まとめ、OBと接し、後輩を導くのか。
3代目、4代目になれば組織を大きくしようと躍起になり、失敗に終わることも少なくない。
目的と手段とが合致しないからである。
そのような意味において、彼の持ち前の慎重さは非常に良い武器となりうる。
彼の理念にのっとって、現状のまま、精一杯頑張ってほしい。

p.s.  何でこんなにも人間は素直になるのが難しいのだろう。人は何かに脅えながらくらしているのか、   希望を持ちながらくらしているのか・・・。