【日常】組織と個人

昨日、SFCの「世界史概説」担当の遠藤先生、SA及び今期履修者を交えて、お酒を飲んだ。
「民主主義について」「判断するに際しての裁量問題」などをはじめ、「個人と主体性」など従来から興味がある分野のお話も盛り上がった。

そして、その後、石嶺さん(四年)、辻本さん(四年)、伊佐さん(四年)、東君(一年)と鳥海山にて飲む!
下ネタで盛り上がり、一年である東君に対しアドバイスという形で、我々の期待を託したり、一発芸の披露大会もあった♪充実充実。

個人的に、最も印象深かっのは、タイトルにある「組織と個人」の話である。
以前からあった、ある悩み(心配ごと)が解決されたのである!
以前、このブログ上に

 「我々は、我々の信念に基づき、正しいと思うことをやり、未来を見据え、将来のKAVのために頑張る のだ。そう考えると、KAVでの頑張りは、省庁との頑張りと似ていると思う。」

と、書いたことがる。確かに、似ている点もあるのだが(少なくとも上記コメントを書いた文脈においては似ている)、当然ながら違う部分もいくつかある。
その中で僕が最も気にしているのが、僕自身の活動と統一性を持たねばならない組織との衝突という懸念事項である。警察庁は最も統率力が必要な省庁だと思う。
その組織に、どちらかというと個人の視点から見る僕がやっていけるのか、どうか。
警察庁の視点で物事を考えるというのは、入庁後に鍛えられるから今は気にしなくてもよいや〜と思っていたのだが、ついつい、「ミクロな部分で自分の信念が警察庁と違っていた場合、どうなるのだろう」と思ってしまう。(「辞表も辞さぬ覚悟で」というのは簡単だが、もし本当に国民のことを思うなら、どのような行動をとるべきか判断に迷うところだと思う。)
 しかし、昨日の話で若干、気付かされたことがあった。つまり、僕は「警察庁」を一つな大きな組織としか見てなかったのである。大きな組織であり、統率力も抜群にあるが、一方で、当然ながら、上司がいて、力になりたい相手もいるわけである。
「目の前に具体的に尊敬できる相手や力になりたい相手がいたら、組織の中の自分ってふうなだけじゃなくいられるんじゃない!?」「この人のためなら頑張りたいと思える上司がいたらよいよね〜」という話があったのだが、まさしくその通りだと思う。
僕が警察庁にひかれた一つに、説明会に出て、人事課の人に最もひかれ、その後、説明会などで人事課以外の方ともお会いする中で、警察庁の役人の人的素晴らしさに惹かれたということもある。
「自分の信念」と「警察庁」とを比較し、種々考える必要もあるだろうが、その時には、信頼できる上司なり同期なりがいるだろう。
大きなベクトル、目的、ミッションさえ合致すれば、小さな、具体的な差異については今のところ考える必要はないのではないか。そう昨日思った。