【霞ヶ関特別講演】警察庁

30日に、第六回霞ヶ関特別講演が東大駒場キャンパスにて開かれた。
今回は、警察庁長官官房国際課課長補佐 堺さんのお話を聞いた。
テーマは「グローバル化社会の警察とアジア各国との連携」である。

今後の警察の課題について印象に残った点を挙げておく。
?リスク管理をどうするか。侵入犯罪において、伝統的な防犯対策の有効性が揺らいできた。
 外国人の犯罪者が増え、同じような手口を鍵に待ち構える等の対策が出来なくなったのである。
 これに対し、警察は現場の声を反映し、ピッキング防止法を制定させたが、これがどこまで有効性の  あるものなのかはまだ不確定である。ピッキング防止法は、ピッキング用具を所持しているだけで、
 不法行為とみなすものである。
 ところで、このような用具をなくすこと自体は難しいのだろうか。国内での生産は規制できるはずだし、
 輸入にしても規制も出来るはずだ。
 なぜ、警察庁は用具の所持を罰することにして、作ることに関しては何の規制も設けてないのだろう  か。それとも、すでに何らかの対処法を設けているのだろうか。

?日本警察の規律の管理。堺さんのお話の中に、彼が台湾に留学中に、現地の人から「日本統治下では安心して暮らせた」「台湾では犯人の地位や財産で犯人の罪が決する」と聞いたということがあった。確かに、日本には安全神話というものが存在した。「水と安全はただである」とまで言われていた時代があったことも確かであろう。しかし、現在ではこの神話は崩れている。理由は多く考えられる。
例えば、従来の捜査手法の限界。従来は怨恨や金銭目的など、犯人と被害者とに何らかの接点があtった。それゆえに、現場の刑事は「虫の目」をもって捜査に臨んでいたのである。しかし、近年いわゆる愉快犯が増えた。これは、犯人からしたら被害者は特定の者でなくて良く、ただ誰かランダムに狙っているのである。これには「虫の目」をもって捜査しても効率が悪いのは明白であろう。むしろ、「鳥の目」が必要である。また、安全神話が崩れた理由として、日本人自身の変化というものが多くあると思う。
日本人自身の「犯罪」「警察」に対する親近感、依存観、信頼感の変化を今後調べてみよう。

?課題というわけではないが、他国と比べての日本の警察の比較優位について。
堺さんはこれについて、拳銃を例に出し、「人による管理の必要のなさ」とおっしゃっていた。
つまり、警官が持っている拳銃は、誰か人が管理しているのではなく、紙で保管しているというのだ。
また、人の管理による信頼性も日本警察では高いほうだろう。

今後、「限られたマンパワーの有効活用」「広い枠組みでの対処法」が必須になってくる。
また、守るべき相手のニーズについても瞬時に読み取る力も必要になってくるであろう。