熱い思い!熱い仲間!!

昨日は彼女の誕生日!
試験前の大きな息抜きとなった!

続く二次会での後輩との会話。
おぼろげながら残っている記憶をたどり、今思うことを記しておく。

?サークルの黄金期。歴史が判断するであろう黄金期。では、どのような代が黄金期となりうるのか。熱い仲間がいた代?会が一丸となっていた代?種々の企画が実現できた代?寄付金、補助金、部費などを合わせもっとも収入を得た代?
考え方は多くあると思う。だが、大切なのは、何を成し遂げたいかを思い描くことであろう。
それの実現にむけ、全力を注がねばならないことは言うまでもない。
だが、その前に、自分が何を後世に残したいか、何を成し遂げたいかのイメージを確定させることが最も重要であろう。これは、サークルだけの話ではなく、生きていく上で誰もが考えることではないだろうか。
せっかく、素晴らしいサークルに巡り合えたのだから、そこで練習しない手はない!
「何を成し遂げたいか」を考え抜き、実行すると、間違いなくそれが『後世への最大遺物』になると思う。

?制度化。
ローマが発展した理由の一つとして、三つの政治体制による混合体制があげられる。
元老院政務官、民会という三つの体制が補っていたのである。これは、それぞれが単独の場合に陥りやすい間違いを予め予防するためだったと思う。つまり、君主制独裁制に陥る可能性があり、民主主義は衆愚政治に陥りやすい。これらを予防するために、三つの体制を混合したのであろう。
 現在、多くの組織は民主主義にのっとったものであるといっても過言ではないであろう。サークルも同様である。だが、サークルにおいての民主主義がどのようにして維持されるかは、国家のそれとは大きく違う点があると思う。サークルにはそこに在籍することを望んだものしかいない。国家の場合、多くは余儀なくされているであろう。この点から、秩序維持のあり方において、秩序維持は国家よりサークルの方がたやすいであろう。国家の場合、多種多様な人が存在するため、一元的に統一的なルールが必要になる。しかし、サークルではそれらは必要であろうか?
また、サークルにおいては必ずしも民主主義である必要はないというのは言いすぎであろうか。個人的には、君主制に相当するもの、エリート制に相当するものであっても良いと思う。
いずれにせよ、安易な制度化はやるべきではない。制度の必要性は、秩序維持のためであると考えるからである。

 ひとつ、身近な事例で考えてみよう。「レストランで持ち込みに対しての対応についてである。一つのレストランでは、持ち込みした場合、一人ずつ金銭をとる。他方のレストランでは、持ち込みをしても、それを許してくれるばかりではなく、それを食べるためのナイフまで用意してくれる。」
上のような事例があったとして、制度化の是非を考えてみたい。
 仮に、前者のレストランが大手のチェーン店だとし、後者のレストランは夫婦で経営しているような店だとする。とすれば、前者のレストランが持ち込み料を取るという制度を用意しているのは納得できる。全国店においての均一的なガイドラインが必要になるからであり、店舗により裁量が認められないからである。他方、後者は制度の確立は必要ないであろう。
 仮に、前者も後者も大手のチェーン店だとする。そして、前者は持ち込み料を取るように制度化し、後者は持ち込み料を取るか取らないかの制度化はなく、店舗店舗の裁量に任されているとしよう。
お客さんは、後者のレストランに通うことになるだろう。

このように安易な制度化は柔軟な対応を阻害するもの以外なにものでもない。
また、一つ制度が作られると、それを超えるのは簡単なことではない。
均一的に維持しなければいけないほどの巨大な組織ではない以上、制度により人、組織を動かすのではなく、運営人の人的魅力、会としてのソーシャルキャピタル社会関係資本)により人を動かすべきである。
 制度の必要性は否定しない。そして、制度が魅力を作り出す時もある。
だが、何よりも魅力を作り出すのは人である。人が人を魅了し、人が会を魅力的にし、人が制度を魅力的なものにするのである。
君たちが、自分自身そのような魅力を与えることができなというなら、制度作成に走れば良い。
だが、僕は君たちの人的魅力の駆使を願ってやまない。


君たちならできる!!
心の底より、君たちと出会えたことに感謝しています。